創業50年を迎えた
香川県で唯一の毛皮と革の専門店へのあゆみ
毛皮と革の店SUN RASCAL 津田産業㈱は、本年創業50年(昭和41年5月創業、昭和56年3月会社設立)をむかえる毛皮と革の専門店です。
今は亡き先代社長(現社長の父)津田照男が一代で築き上げた香川では唯一の毛皮専門店です。
照男は高校卒業後、地場産業である手袋縫製工場に勤務し、皮革の裁断や縫製など全てのノウハウを持ち前の勤勉さとバイタリティーでどんどん吸収し学んでいきました。
一家を経済的にも支える毎日で、現在の若者のような娯楽など無縁の生真面目な青年でした。
そんなある日、名古屋に本社を置く旭一シャイン工業株式会社が、毛皮産業に新規参入するため毛皮加工技術者となる優秀な人材を探しており、実直で真面目な人柄もかわれ、照男に白羽の矢が当たったのです。
当時照男24才、運命の毛皮との出会いでした。
とはいっても名古屋、北海道へと向かわなければならなくなり、家族を置いて一人で旅立つことに照男は思い悩みます。
しかし、家族の為にも、自分自身の為にも、もっと豊かな暮らしや家族の幸せを夢見て決断し旅立ちます。
故郷に帰るか、会社に残るか
選んだ道は「恩返ししたい」という気持ち
名古屋、北海道で照男は寝食を忘れ毛皮加工技術を取得しようと厳しい修業に耐えます。
当時の職人仲間からの話では、左利きだった照男は人の2倍のスピードで器用に作業をすすめ、群を抜いた存在だったそうです。
北海道での修業を終えた照男は、故郷に帰るか、そのまま会社に残るか迷います。
実直で誠実だった照男は、自分に毛皮職人の道を与えてくれた会社のために少しでも恩返ししていきたい…と、本社(名古屋)で勤務する事を選び一所懸命働くのです。
結婚、そして新しい家族の誕生
そんな中、照男に次の大きな人生の転機が訪れます。
妻 多美子との結婚です。
当時、多美子は幼稚園の保母をしており、笑顔が魅力的で聡明で明るくほがらかな人柄に惹かれ結婚します。
名古屋で新生活をスタートさせた二人は、香川に残した両親に仕送りをしながら、つつましい中にも幸せな毎日を送ります。
そんな幸せな日々をおくっていた照男の心にある変化がおこります。
妻 多美子の妊娠です。
照男は新しい生命、新しい家族の誕生を大変喜び、そして、自分の家族を守りたい、と強く思うようになりました。
男として成功したいという野心もありました。
そして、昭和41年、故郷に帰り自らが起業し津田商店(当時)を立ち上げたのです。
照男28才、照男・多美子・近所で一緒に育った幼馴染み在末八重子3人でのスタートでした。
毎日、深夜まで一人で作業する照男。
そんな照男を見守り陰で支える妻多美子。
「毎日遅くまで一人で仕事を一所懸命していたけれど、自分の技術が生かせるからと、毎日楽しそうに生き生きしていたのよ」と、当時を振り返り多美子は懐かしそうに語ります。
愛する家族の為にも絶対に成功させたい、という強い想いが照男の心を奮い立たせていたのです。
新店舗、工場オープンから
たった7か月後の先代の死
高度成長、バブル経済、時代の波に乗り、昭和56年3月、津田産業株式会社を設立。
自社工場で製造し自社店舗で直販するという当時では珍しい「製造直販」のシステムを自ら考え、従業員10名の会社社長となった照男は全てが順調でした。
自社ブランド「ラスカルファー」も「サン ラスカル」に改名、平成8年11月、新店舗・工場オープンに向かって充実した日々を送っていました。
神戸の貿易会社に勤務していた長男 将志(現社長)も平成8年8月、父の後を継ぐべく勤めていた会社を退社し香川にかえり、親子で準備にとりかかっていたそんな幸せの絶頂だった矢先、照男の体を病魔が蝕みオープンからわずかたった7か月後、平成9年6月3日、帰らぬ人となったのです。
貴重な資料や写真そして思い出も
一瞬の間に全てが灰に
先代社長・照男の死から18年。
その間も様々な出来事がありました。
平成21年4月1日
たった3名でスタートし、照男や家族、従業員、そして津田産業…
すべてがこの場で育ってきた旧工場、店舗、自宅までもが隣家の飛び火により全てが焼失してしまったのです。
照男が蓄積してきた貴重な資料や写真そして思い出も一瞬の間に全てが灰になってしまったのです。
自社ブランド「サン ラスカル」にこめた
先代の想い
自社ブランド「サン ラスカル」には亡き先代社長、照男の家族を愛する想いがこもっています。
製造直販するにあたって自社ブランドを立ち上げようとブランド名を考えていた頃、子供たちがいつも大きな声で笑い楽しく見ていたテレビアニメに由来します。
家族の幸せな笑顔や笑い声をブランド名の中に込めたのです。
新店舗を計画している時、知人の勧めで、頭に「サン(輝く)」をつけました。
発展し、輝きつづけるよう願いを込めたのです。
愛する家族や社員、お客様、支えてくれる全ての人が輝き発展しつづけるように想いを込めて名付けたのです。
受け継がれる
日本人職人の精神と誠実な姿勢
今、現在、社会状況も大変厳しく隆盛を誇っていた毛皮業界全体が斜陽産業でもあります。
閉鎖に追い込まれている毛皮工場や販売店も少なくありません。
自社工房にて職人が手作業で物作りしている弊社は、日本国内では稀有な存在となっています。
失われつつある日本人職人の物作りの精神と誠実な姿勢を商品に込めて伝えていくことも、私達SUN RASCAL津田産業株式会社の使命と思っています。
二代目社長・将志は、若くしてこの世を去った父であり社長の無念の死、生まれ育った家、旧工場を火災で失った喪失感…様々な困難を乗り越えてきました。
愛し支えて下さる大勢のお客様、お客様の期待に応えようと日々技術を磨いている職人、先代社長の想い、全てを大切に一歩一歩これからも前進してまいります。